035031
福井一拓(昭和35年卒)
書 五言絶句「凍月(江馬天江詩)」
42×140 cm
↓読み ↓読み下し
大 意
竹叢の外に、どこからともなく香りが漂い、
溪の南の空は暮れかかる。
横にさし延びた枝に花はなく、
凍るような細い月が空に一筋白い。
訳注
竹叢(たけむら)
竹外 竹叢の周辺一帯
暗香 どこからともなく漂ってくるよい香り
聞く ここでは嗅覚で梅の良い香りを感じること
凍月(とうげつ) 寒い時期の冷ややかな月
江馬天江(えま・てんこう) 文政8年11月8日(1825年)12月12日〜明治34年(1901年)3月8日。
書家・漢詩人・医師。幕末から明治期の京都を代表する文人。
本姓は下阪氏。名は聖欽、字は永弼・のちに正人。
近江国坂田郡中村の下阪篁斎の第六子。医学を修めて、21歳のとき仁和寺侍医の江馬榴園の養嗣子となった。大坂に出て緒方洪庵に洋学を学び、柳川星巌に師事し詩文を学び詩作に興じた。幕末維新期になると実兄の板倉槐堂や山中静逸・谷如意などと国事に奔走した。
明治元年(1868年)には東京で明治政府の太政官出仕するも、翌年致仕して京都に戻る。明治2年(1869年)に開校した私塾立命館では、塾長として儒学の講義を担当した。
明治17年(1884年)には、小堀遠州が作庭した退亨園のある邸宅に隠棲。多くの文人と煎茶会・書画会などを通して交流し文芸にふける。
出典1:HPウィキペディア「江馬天江」







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